○丸善の洋書の前の春の泥
(まるぜんのようしょのまえのはるのどろ)
○跳び越えたはずの春泥へ尻もち 秋甫
○春泥やペテルブルグのウインドウ 々
○春の泥顔まで撥ねて子の帰る 々
梶井基次郎は丸善の洋書の棚に檸檬を置いたが、この句では春泥に汚れた長靴で行ってみた。不躾な田舎者だ。と同時に私の内には夫の高校時代の友人高石幸男を思い浮かべていた。日曜日ともなると田圃仕事をさぼっては泥の長靴姿でよく家へ訪ねて来たものだ。
朝来ると大抵、昼食と晩御飯を食べてさらに深夜まで話していったのである。義父はそんな彼を現にして嫌っていたが、彼もまた故人となってしまった。私の周辺にはもう、熱く語る人も場所もなくなっている。