春耕

     ◦春耕の轟きあまり海に入る

 俳句を始めて今月でまる二年になりました。初めの頃は次々心に浮かんで来て句作が楽しかったのですが、この頃では苦しく感じるようになっています。


 先日、古本屋めぐりをしていると、分厚く大きな「日本大歳時記」講談社のカラー図説入りをみつけました。歳時記はこれまで手頃なのは何冊か買って持っていましたが、最初にきたスランプを切り抜けるためにここはひとつ投資しようと、それを抱えて帰って来たのです。四季おりおりの行事や花鳥風月のきれいな写真と豊富な季語がびっしり並んでいて、まったくその表現の奥深さに感心しながらページをめくってると、最後に前の所有者の購入日時や名前が達筆な文字で記述されていました。ふと、この大きな本を(重量的にもかなり重いのです)所有していた男性はどんな人だったのかなと、そちらへ想いが飛んでいきました。もう亡くなられているのかもしれない。家族はこの重い本を扱いかねて処分する事にしたのか、或るいは老人の蔵書を全部まとめて処分した中の一冊だったのだろうか。私もその横へ購入年月日と自分の名前を書いてみたい気持ちが起こりました。これから何年手元にいる事になるのだろう、その後はまたどこかの古本屋の隅に置かれているというのもいいかもしれないと思っています。