未完現実

 「未完現実」、これは私が参加している俳句雑誌の名前である。この11月号(234号)が一昨日届いた。何か自分にフィットする入り口を探していたとき俳句に辿り着いた訳であるが、16ヵ月前、世の中に数ある俳句誌の中で「未完現実」に縁をもったのにはそれなりの事情もあった。
 234号の誌の表紙の裏に掲載された私の「此の一句」からその辺の経緯は説明することができる。
   
 — 「此の一句」
   「怖くてこわくて飲むよたとえば月がふたつ」   井筒安男
 以前から「此の一句」を依頼されたときは、安男氏の句にしようと心に決めて憶えていたのがあります。その句は、
   「たそがれる俺菜の花といていいですか」   井筒安男
 晩年の氏とは疎遠になっていた折りから遺句集が届いて、胸が詰まる思いで読みました。今回読み返してみると、もっと衝撃的な句に出会ったのです。
「怖くてこわくて....」の句です。「月がふたつ」これは村上春樹の小説「1Q84]で登場人物が、何げない夜空に二つある月を見てしまうのです。異次元を観てしまった人間には狂気という副作用のある薬を処方されるのでしょうか。
本誌の231号で安男氏の次女の里美さんは、
 「父は最後まで本物だった、俳句に命をかけた生涯でした」と、書いておられましたが、私もそう確信しました。(未完現実「234号」より)—

 井筒氏夫婦とは伊丹に暮らしていた頃、白珠荘というアパートで一緒だった。安男氏は十代の頃から句作している筋金いりの俳人で、当時は堀葦男や林田紀音夫などの句会へ私の夫も誘われて参加していたようだった。南こうせつの「神田川」じゃないけど、洗面器の中の石けんをカタカタ鳴らして銭湯へ通っていた時代なのだ。
 当時安男氏は大阪の高校で国語科の教師をしていて、日曜日などの空き時間には彼らの部屋へ行って、源氏物語の講義をうけたり、クラッシックのレコードを聞かせてもらったりして、奈良へ転居される迄は親しい交流があったが、こちらも夫の実家の四国へ移ったりしているうち、氏が亡くなり、音信も途絶え、去年氏の十七回忌が行われたというから随分と古い話しになる。

 で、「未完現実」との係わりに戻ると、私が俳句をやってみようと思いたったとき、安男氏の妻の早苗さん(彼女も俳句をやっている)が心に浮かんだ訳である。
 そんなことから、今は安男氏の同僚(後輩)が編集をしている「未完現実」なるグループを紹介されて、いっぱしに投句したり、原稿の依頼があれば寄稿したりと、いわば自分がフィットできる場所を提供してもらっているのである。
 これはあくまで私の側から捉えた同人俳句誌「未完現実」であって、この一冊をまるまる把握している訳ではない。青年のように反骨精神旺盛かと思えば僅か16ヶ月の間に三人の追悼号が出るほど(234号は101歳で亡くなった一原九糸郎翁の追悼号)高齢のメンバーであるようなのだ。

 一方、金子兜太が編纂している「現代俳句歳時記」に引用されている俳句協会の会員も、ここに参画していたりで、私には今のところ「未完現実」は正体不明といったところだろうか。