賀状書く何はともあれ生きていて

 今年も年賀状を書き始めなければならない時節になった。絵を描く年もあればどこかのカットを拝借して済ます年もあり、今年は後の方になったが50枚ほどの年賀状には毎年かなりのエネルギーを注入している。(出来ばえは兎も角)

 俳句をはじめた事もありこの1、2年は俳句をメインにもってきてと考えているのだが、絵のプランが先に決まると、それに合わせた俳句を作らねばならずまずそれに3日はかかる。首までどっぷり俳句に浸かっている状態でも新年の挨拶句となると、それなりの雰囲気が必要になってくるだろう。

 そんなときに限って
     ◦だいこ煮て身の上話し聞いている
     ◦じやじやと鍋のいうなりおじや炊く
 とまあ、侘しい暮らし向きばかり目についてしまうのである。本音を言うと大いに面白い句ができたと思っているが。

 昨夜などはしとしと降る雨の気配に目が覚めて眠れず
     ◦小夜しぐれ幼きころの遠くまで
     ◦小夜しぐれ祖母のかいまき懐かしく
     ◦小夜しぐれ祖母の御霊(みたま)と繋がれり
 日頃、祖母が私の脳裡に登場することはないのであるが(私自身れっきとした祖母なのであるから)冷たく重い時雨を外に聞いていると、田舎で祖父母と暮らした幼年期の心細かった記憶が甦ってきたのである。六十年以上も前のことが、祖母の髪の匂いや薄い蒲団を縫い合わせた端切れの柄まで思い出せるようなのである。
      ◦小夜しぐれ祖母のかいまき懐かしく
 心情としてはこの句がいちばん近いように思うが、「懐かしく」が良くない気がする。「かいまきは」は当時大人たちの会話から着物の下に巻く腰巻きと理解していたので、ちょっと下品かなと思ったが調べてみると「かいまき」は「掻巻」で綿入れの夜着とあった。私には誤解していた腰巻きの方に祖母の肌の温もりが伝わってくるような気がするのである。

     ◦日記買う生きざまを横書きにして
 今日からまた新しい日記帳になった、これも子供の頃に帰ったような気持ちでちょっと嬉しい。私の日記には今、一つの形式があって、まず聖書を3節英文と日本文で写す事からはじまる。きょうはヨハネによる福音書3:7、8、9を書いた。新約聖書を一冊英文と日本文で丸写ししようという訳である。生前夫から聞いた話しによると正宗白鳥はトイレに聖書を置いていて、用を足している間に読んで、読み終わったペイジは破ってその用に使ったらしいから、それに比べるとずっと大切に思っていると言える。

 そんなこんなで今日も一日は過ぎてゆこうとしています。