年末年始を娘の所で過ごすのがここ数年の慣例になってしまった。正月は故郷の実家へ家族みんなで帰省する、そんな風な絵に描いたようにはいかないまでも、移動するのは一人ですむ方が合理性に叶っているように思う。
若い頃に経験した帰省ラッシュの乗り物は、大げさでなく阿鼻叫喚に近いものがあった。それは終戦後に乗り物から子供心に受けた脅威とどこかでずっと繋がっていたのかもしれない。だから乗り物が嫌いかというと、そうでもない、あの喧噪に似た活気や徒然に共有する見知らぬ人との一コマの時間は別れ難く心惹かれるものがある。いえいえ、それももう遠い昔のこと、中国大陸の列車に乗れば再現できるかも知れないが、今はみんな本を読むか、ipotを聞いている。おしゃべりすれば埃が立つと思っているのか、静かでクリーンなのを心がけているのだ。
◦マンションにパンザマストや冬茜
ここへ来ると、この頃では夕方の4時5分に、市の時報が鳴る、ここは「夕焼け小焼け」の曲が流れる訳であるが、これが鳴ると「パンザマスト」が鳴ったと言って子供たちは遊びを止めて家へ帰る。
「パンザマスト」孫が小学校へ行くようになって、その名称を知るようになったが、調べてみると「防災無線」とあった。時報をパンザマストと呼んでいるのは、ここ柏と大阪府の松原市だけだとか。
◦去年今年牛蒡一本ふき了はる
元旦は早朝5時から剣道の初稽古。父兄は豚汁や炊き込みご飯をそれぞれに割り当てて作って持って行く事になって、わが家は炊き込みご飯の担当となったらしい。
年越し蕎麦の後始末を終えてから、ラジオの紅白歌合戦を聞きながら牛蒡をささがきに。家用と練習会場用の二釜分を仕上げた時には新しい年になっていた。
◦面とれば凛々しく見ゆる初稽古
剣道着と面を付けていると個人はまったく識別できない。体育館の早朝の引き締まった空気は剣道のかけ声で一層張りつめた雰囲気を醸して、元旦の儀式に相応しい心ひきしまるものだった。
◦大仏の足から入りて春の御手
二日の初詣は茨城県の牛久大仏になった。浄土真宗の東本願寺派の本山ということだった。うりものは120mのブロンズの大仏、高速道路を走っていると胸から上がぬっと出て、その高さと大きさに唖然とする。大仏の胎内は一階から「光の世界」「知恩報徳の世界」「蓮華蔵世界」「霊鷲山の間」等それぞれの仏層世界が表現されていて、胸の辺りから外の常陸台地が見えるようになっている。この大仏も歴史を刻んで緑青に包まれる頃には、もう少しありがたい物になっているかもしれない。
◦石段の空へ繋がる初神楽
初詣の梯子というべきか、帰途に地元の布施弁天へお参り。こっちの方が初詣としては本目なのである。獅子舞や太鼓の鳴りもの入りで迎えてくれるから華やいだ正月気分が味わえる。その上婿のおみくじは「一番の大吉」というから、今年は大いに縁起がいい。利根川の広大な河川敷には快晴の空をほしいままにして凧が右へ左へ泳いでいた。
◦初日記快晴と書き用に立つ
とまぁ こんな風に柏で今年も新年を迎えた訳である。
◦正月やうさぎ跳び出せ木の根っこ
私は今年からおみくじは買わない事にした。「果報は寝て待て」この歳になればそれも許してもらえるだろうか。それにしても「待ちぼうけ」の歌詞はこんな展開になっていた。
(二)待ちぼうけ待ちぼうけ (五)待ちぼうけ待ちぼうけ
しめたこれから寝て待とか もとはすずしい黍畑
待てばえものはかけてくる 今は荒野のほうき草
兎ぶつかれ木の根っこ 寒い北風木の根っこ
◦嗚呼嗚呼と一日悔いる初鴉