心太

     ○磯の香と喉に涼しき心太
(いそのかとのどにすずしきところてん)
心太の思い出
       ○心太沼津の浜の葦簀かな    秋甫
       ○正雀の裏街暮し心太      々
       ○心太ラムネと浸かる盥かな   々
 二か所の心太
 初めて所帯を持ったのは阪急電車が裏を通る大阪郊外の正雀という街であった。兄が幌つきの2tトラックをどこかで調達してきた。それに身の回りの必需品を積んで,私と母は後ろの荷台に乗って正雀壮というアパートに小雪の舞うなかを引っ越したのである。
 普段の通勤は国鉄岸辺駅を利用していたが、阪急の正雀駅の方がアパートからは近かった。その夏、私はひどく疲れていた。体調を崩して何も口にできなかったのである。そんな時仕事でなく大阪へ出る用事があって、阪急の線路沿いを正雀の駅ヘ歩いていると、裏通りの細い道をさらに幅を狭めて葦簀が立て掛けられて「ところてん」の旗が揺れていた。私は葦簀をくぐって心太を注文した。緑色のガラスの器に盛られた透明の心太には黒い糖蜜が掛けられていた。冷蔵庫などなくラムネが盥の氷の中に浸けられていた時代である
 それから数十年後に、静岡の沼津に行った時、観光客用に浜辺に張られた葦簀に入って注文した心太には三杯酢がかけられていたのである。それは磯の香と喉越しが涼しく美味しいと思わせた。
 それぞれ味の異なる心太を今思い出してみると、それぞれはそれぞれの時と共に存在しているのである。
 因みに今日はスーパーで心太を買ってきた。三杯酢のもであったがこれから後も思い出してみることがないといことだけは確かなものだった。