雨蛙

     ◦雨三日四日鳴きたる雨蛙
(あめみっかよっかなきたるあまがえる

 颱風一号がからんだ雨もようがつづいています。お陰で今年最初の雨蛙の洗礼を受けることになりました。ぐじゅっ、ぐじゅっとひとりごとを呟いていてくれるうちはいいのですが、拡声器にでも繋げたような声を張り上げて一晩中訴えつづけられると、蛙をみつけてどこか遠くへ放してこなくちゃと、いう気持ちになります。
 きのうK先生がうちに見えた。息子さんの裁判で懲役4ヶ月、執行猶予2年の実刑判決が下された事の(T.K先生の教職を守る会)抗議集会への参加呼びかけでした。訴訟の内容には触れないことにします。K 先生の話しを聞いている間、私は宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩を心のうちに思っていたのです。
 八十路の小柄な老躯は息子さんの無実を訴える悲壮な姿というより、むしろその小さな躯から明るいエネルギーが発せられている印象でした。今から隠遁生活などとまだまだと、反対に私を叱咤激励されるほどです。
 小一時間ほど話して帰られるのに、家から車を方向転換される時、塀にしっかり擦り付けられてどうしたら車を塀から離せるのか、回せば回すほど車はどんどん壁に食い込みハンドル操作は大変でした。よく見ると、車はすでに前後、側面、すべてみごとに凹んでいて満身創痍なのでした。その時はじめてK先生のお気持ちがわかったような気がしました。