菜の花

     ◦明日はしる道は菜の花咲けるかも


 早速本屋さんへ行って買って来ました。きのうテレビで曾野綾子氏が紹介されていたのは「老いの才覚」だったのです。この田舎の書店にもすでに並べられていて、それは目立つように置かれていたから人気筋だったのでしょう。老人には手頃な長さと優しい重さです。
 まあこの年齢までそれほど周囲と軋轢もつくらずやってこれたし、うじうじと考えるタイプでもなく、曾野綾子氏のいう「老いの才覚」は或る程度習熟できているかなと、自己採点の「足し算の幸福」でいくと地球レベルでもかなり幸運な日々を送っていると自覚しました。
 今回彼女が私に「まったあ!」 のサインをくれた事が最後まで読み終わってはじめて分かりました。それは次の詩に会わせるためだったのです。

  「神われらと共に」(別名浜辺の足跡)   アデマール・デ・パロス
  夢を見た、クリスマスの夜。
  浜辺を歩いていた、主と並んで。
  砂の上に二人の足が、二人の足跡を残していった。
  私のそれと、主のそれと。

  ふと思った、夢のなかでのことだ。
  この一足一足は、私の生涯の一日一日を示していると。

  立ち止まって後ろを振り返った。
  足跡はずっと遠く見えなくなるところまで続いている。
  ところが、一つのことに気づいた。
  ところどころ、二人の足跡でなく、
  一人の足跡しかないのに。

  私の生涯が走馬灯のように思い出された。

  なんという驚き、一人の足跡しかないところは、
  生涯でいちばん暗かった日とぴったり合う。

  苦悶の日、
  悪を望んだ日、
  利己主義の日、
  やりきれない日、
  自分にやりきれなくなった日。

  そこで、主のほうに向き直って、
  あえて文句を言った。

  「あなたは 日々私たちと共にいると約束されたではありませんか。
   なぜ約束を守ってくださらなかったのか、
   どうして、人生の危機にあった私を一人で放っておかれたのか、
   まさにあなたの存在が必要だった時に」

  ところが、主は私に答えて言われた。

  「友よ すなの上に一人の足跡しか見えない日、
   それは私がきみをおぶって歩いた日なのだよ」