父の日

     ○父の日や父はピエロを演じきれぬに
(ちちのひやちちはピエロをえんじきれぬに)
6月第3日曜日
       ○父の日の風のごとくに通り過ぐ    秋甫
       ○父の日や代々母系家族なり      々
       ○父の日は復員兵士に始まりぬ     々
 明治の父に比べて大正の父は浮薄な気がする。私の父は大正8年、大阪堺市の生まれらしかった
赤紙で召集されて大阪の団へ。海軍に編入されてアンダマンやラバウルなどの南方の戦地を経巡っていたらしいが、終戦になってほうほうの体で復員してきた。
 飲み友達が集まると、さらばラバウルよなどと、いたって陽気に茶碗を叩いて歌っていたのを覚えている。父の所属する大阪の八連隊というのは「また負けたか八連隊」と、言われるほどまったく気骨のない連隊だったらしい。
 戦争を庶民の間でも総括し始められた頃、巷では伴淳の映画「二等兵物語」がヒットしていた。
 父は間違いなくあの哀しい二等兵だったのである。