○熟柿喰ふ産褥の母見てしまう
(じゅくしくらうさんじょくのははみてしまう)
幼児期の記憶
戦後も私は滋賀の祖父母の元に一人疎開の延長生活をつづけていた。そこへ京都から母がやって来た。時々母は帰省していたのだろう。しばらくは滞在していくのが何時ものことだったのに、その時は少しの間に母が何処かへ消えてしまった。
しかし、いつもの単調でうら寂しい暮らしが家には戻らず夜も昼も慌ただしかった。それはどうやら一直線で奥の部屋へ繋がっている様子だったが、私はその線上から外されて奥の部屋へは近づけなかった。
数日後のことだったかもしれない。
私は家の裏へ廻っていた。囲炉裏の部屋、奥の間、納戸、裏はそれらを小さな濡れ縁が一直線でつないでいた。納戸にあたる濡れ縁の下には下肥の大きな樽が置いてあって、覗いてみると何か胸が悪くなるようなおどろおどろした色の物が溜まっていた。
半分開けられた障子の中に母が見えたが、大きな熟柿に顔を埋めていた。私は来鬼女でも見たような恐れを覚えてすぐに表へ廻った。