秋の蝉

     大阪弁やっぱり哀し秋の蝉
(おおさかべんやっぱりかなしあきのせみ)
 「火花」読む
 大阪弁にどっぷり浸かった。郷愁のようなものが甦ってきて、やっぱり私の体内にも大阪人の血が、まだ消えずに流れていたのだと思った。
 いっぱしの漫才師をめざして夢を語ったり、生活の一部を切り取った吉祥寺や井の頭公園の舞台が、大阪の鶴橋、阿倍野と名を変えて繰り広げられてもいっこうに差し支えなく、それが昭和の町筋にすり替えられてもまた違和感のない青年群像があった。東京の街を大阪弁が闊歩する小気味よさも背景には仕組まれていたのかもしれない。作者の実家、大阪府寝屋川市京阪電車の沿線で大阪の郊外に当たる。関根、門真、守口、京橋、そこにもまた大阪の哀愁とロマンの匂いはあった。