鉱山の遺構となりて冬桜

 「タカハシさん、お元気?いいお天気ねぇ」
 仕事をしていた頃の友人から電話でした。彼女は病院の総婦長を退職した後も週に二日、今も仕事をつづけている健老です。私の方はリタイヤして10年経ちました。彼女とは職種は異なりましたが、私は検査機関から同じ病院へ出向していたのです。救急病院なので夜中でも呼び出されることはしょっちゅうのことで、仕事を辞めてもしばらくは電話のベルに反射的に体が反応して眠っていても跳び起きたものです。
 この数年は何事にも機敏に対処できず、すっかりのろまになってしまいましたが、この日は電話をもらってから30分もかからないうちに私はもう隣り街の新居浜へ向かって車を走らせていました。

 彼女の参加している健康グループでウォーキングを定期的に開催していて、次回は彼女が企画を担当することになったらしく新居浜のマイントピアを歩くコースを思いたち、下調べのお伴として私へ白羽の矢が飛んできたのです。 

 鉱山記念館の下の駐車場で待ち合わせて、まず煙突山の山道に向かうと立ち入り禁止のロープに道を阻まれてしまいました。煙突の補修工事をしているらしいのです。別のコースを考えなければなりません、赤橋を渡って対岸の集落の間を抜けて山の中へ入って行きました。ところどころに零余子らしき蔓が木に巻き付いています、走り寄ってみましたがすでに実は無く一つ二つ残っていたのも、ちょっとした震動を与えるだけで零れてしまいました。ある高度まで登ると山腹に平行した道が北から南へ通っているのに出会いました。それが鉱山鉄道の跡です、下草はきれいに刈られていて鉄路の幅にコンクリートのブロックが継ぎ並べられていました。
 途中に駅なのかプラットホームらしき跡もあり、切り替えの為のポイントだったとおぼしき少し開けたスペースの、下方の谷には民家も何軒か存在していましたから、坑道への仕事に乗り降りがあったのかもしれません。この辺り一帯は1973年(昭和48年)に閉山されるまでマイントピア(鉱山の理想郷)として繁栄していたのです。

 マイントピアの吊り橋が左手に見えてきたとき、突然道の前方が鉄条門で遮られています。おまけに門の上には尖った鉄棒まで括り付けられて頑丈にガードされていました。すぐ向こうには駐車場が広がっていて午後の陽を車の上に差し掛けていました。
ここまで歩いて来て今さら引き返す手はないと思いました。
「私は困難を引き寄せる達人なのよ」そう言いながらも俄然意気揚々です。
幼い頃から、スマートで奇麗な生き方とは縁がなく、いつの間にか不細工でもどろんこになってそれを乗り切った時の達成感に、より喜びを見いだすようになっていました。
 鉄柵の上下左右を調べて見ると、山際の方に雨水を流す浅い溝が人幅ほどに切られていて、その下を這えば人ひとり潜れる空間がありました。もとより言い出しべが彼女なのだから有無を言わせず彼女の背からバッグを取ると、私はその穴を指し示しました。
     ◦坑道に出口なくして草虱


     ◦あかがねの山へ一重の冬桜


     ◦鉱山の鉄道ゆけば冬桜


     ◦山人の句碑にもしぐれ走りけり

 結局この日は2コースとも立ち入り禁止の道を歩いた結果になってしまって、その後、彼女からは次なる下調べのお誘いもないのです。